「BUTMEN」の前身は、下柚木町会班対抗ソフトボール大会や由木地区体力つくり主催のソフトボール大会で知り合ったメンバーが大半で「下柚木ソフトボール同好会」というチームを編成し、由木ソフトボール連盟に加盟いたしました。
由木ソフトボール連盟発足時の各チームは、体力つくり主催のソフトボール大会に出場していた方々が、それぞれ町会の単位に集まってチームを編成し、連盟の試合に参加していたと記憶しています。
当時はユニホームもなく、下柚木町会揃いのジャージで各試合に参加していましたが、チーム内から「ユニホームを作ろう」との声がかかり、ソフトボールに生き甲斐を求めるメンバーが中心となり、本格的にユニホーム作りが始まりました。
メンバーが下柚木会館に集まり、チーム名称を「BUTMEN」と決め 、江添邦雄さんが入手したユニホームに安富誠さんが帽子・ユニホームのマークをデザイン、帽子・アンダーシャツの袖・ストッキングの色は緑色に、背番号は各自が希望する番号を、なお、重複した人は当事者間で話し合いをして決め、1996年2月に手作りユニホームが出来上がりました。
この頃は、試合後のコミュニケーションの場が永林寺の参道等で、メンバーから焼き鳥などの試供品提供を受け、その他の料理は安田・伊藤家にお願いし、バーべキューをしながらプレー談議に花が咲き盛り上がっていたことが懐かしく思い出されます。
最近では、数年前からメンバーによるゴルフコンペや、家族・知人を巻き込んだバーベキュー大会・ハイキング・登山も行い、更には、子供たちに思い出をと「BUTMEN」主催の「新春はねつき大会・もちつき大会」も開催、夏には下柚木御嶽神社の祭礼に合わせ自作の「たる神輿」を子どもたちに練り歩かせたり、また淺川地域のソフトボールチームと交流試合を行うなど、地域との関わりとチームのコミュニケーションも深めております。
その間には、連盟加盟時の主力メンバーから「50歳が引退年令だ!」との声もあり、50歳になるとチームを離れる者、ソフトボールは続けたいが仕事の都合で転勤となって、止むを得なくソフトボールを断念しチームを離れた方もおりました。
連盟加盟時、若手でチームの主力メンバーであった現メンバーも歳には勝てず、今では平均年齢50歳台となり、60歳台になるのもそう遠い先ではありません。このままでは「栄光のBUTMENよ何処へ」となるのは明白で「若手がほしい!呑めるピッチャーがほしい!」との声が出る現状です。
最後に「下柚木ソフトボール同好会」の設立とチーム運営に御尽力頂いた大島錬三さん、設立とチーム運営は勿論、由木ソフトボール連盟の設立にも携わっていただいた(故)小川栄吉さん、また長年チームを支えて頂いたOBの方々に、深く感謝を申し上げます。