web版 第18-4号(No33)
   
  懐かしい下柚木の風景

 南大沢の図書館で下柚木に関係のある本を探していたら、懐かしい下柚木の風景写真に出会いました。カメラの位置は現在の富士見台公園の裾あたりからのようです。本の名前は「目で見る八王子・日野の100年」(株)郷土出版社の125頁で他の写真も参考になります。(写真は権利の都合上ここに掲載できません)

 現在の由木中学校が建っているあたりは田んぼで、大栗川もコンクリート張りではありませんでした。街にはビルがなく、のどかな町並みだったのが分ります。(皆さんのご家庭に懐かしい写真がございましたら、記事に活用したいので是非ご一報下さい)

 次の文は、由木中学校50周年記念誌に由木中第4回生・小柳弘さん(昭和26年3月卒業)が寄稿された素敵な文がありましたので紹介します。

 なつかしい由木村

  周囲を丘陵にかこまれた静かな山村、由木村野猿街道・道際は、一面の水田、蛙の合唱、ホタルが飛び舞う。ウナギやハヤなどが容易に取れる大栗川は、夏には格好な水泳場でした。

 至る所に掘り抜き井戸があって、夏は冷たく冬は温かい水が自然に湧き、その水を飲みながら登下校したことが今では懐かしい思い出の一つである。

 当時の由木村は中学校一つ、小学校は中央小、西小、東小の3校。東小の私たちは4年生までが東小、5・6年生は中央小に通学していました。はき物は下駄、暖かい雨の日は素足で、昇降口に洗い場がありそこで洗い教室に入りました。今では考えられません。

 私が入学した昭和23年は3クラス計114人で、全員の名前はすぐに覚えられました。今でも何年かごとに同級会を催しますが、皆当時の顔にすぐ返り名前は呼び捨てで昔話に花が咲きます。こんな中学校でしたが運動競技は強かった。特に駅伝大会では、南多摩郡で常に1位、東京都大会(皇居内掘)でも昭和23年、24年と連続優勝するほどでした。

 昭和25年の大会にはこんなエピソードがありました。朝早く京王電車で新宿駅に降り、暫らく歩いたとき優勝旗を電車に置き忘れたことに気が付き、あわてて自転車店を探し、先生の腕時計を保証に自転車を借り取りに行きました。

この年は残念なことに、3年連続の夢が破れてしまいました。

 これら大会に出場するには、毎日の積み重ねが大切でした。部員は雨の日でも西小入口まで砂利道を走り、靴は今日のような運動靴などなく、地下たびの薄いようなものを履き、道路の水溜りを避けながら走りますと、石の感触が身に伝わってきました。

 交通機関は1日に何本か八王子市内から堀の内までの木炭バス、自転車、牛馬車でした。今日のように都市化が進み自動車社会が来ようとは、とうてい想像もできませんでした。
 「懐かしい当時の思い出の1頁」

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  ●編集後記

*由木中の50年誌を読んでいたら、由木地区町会・自治会連合会会長であります林泰男さんも第4回生で寄稿文がありました。

記念誌は南大沢図書館にあって、由木生まれでない方が読んでも戦後の由木が判りとても参考になると思います。

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発行 下柚木町会  編集 下柚木町会広報部  simoyugi@inr-hat.jp

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