web版 第20-11号(No64)

  四川省・大地震を間近に見て

 八王子市主催の防災講演会(11月18日)へ出席したので、その概要と参考となりました点を幾つか紹介いたします。
 今年の5月12日、四川省のM8・死者行方不明者8万7千人の大震災発生は、どなたの記憶にも残る大惨事でした。  
 日本は地震大国と云われていますが、中国における20世紀以降のM6以上地震は200回もあるそうです。また、四川省のM7以上の大地震は1923年・33年・73年・74年と4回も発生している地震の多発地域でした。
 今回の講師は、東京消防庁・消防指令長・松井晶範氏で四川省・青川県へ日本救助隊第1陣(29名)として派遣されました。講演は同行カメラマンが撮影のビデオ(10分)とスナップ写真120枚の一部を用いた、被災現場と救助活動を報告する臨場感一杯の迫力内容でした。
 日本救助隊派遣は、地震発生日に準備を開始したそうですが、現地の模様が中央政府に正確に伝わらないことから日本への要請が遅れ、残念ながら5日後の到着となってしまいました。建物の下敷きになった方の生存確率は72時間(当日約80%・翌日約35%・3日後約10%)が限界と云われています。これは水分の補給・強いストレス・負傷・持病・気温などの複合が原因だそうです。
 それでも日本救助隊は、地震の土砂崩れによってできたダムの決壊(恐れ)と余震の続く中を4日間懸命の捜索活動を継続したそうです。6地区の生存者のありそうな瓦礫の下を人力で掘り下げ懸命の努力をしましたが、
残念ながら18名のご遺体を収容したに止まりました。
 被災を大きくした原因は、この地方独特の「建物の壁がレンガ」だったことでした。このレンガは、写真では強度の弱い日干しレンガのように見えました。
 北川県の倒壊した6階建て中学校舎では、授業中の学生が沢山亡くなられました。1・2階が上の重みで崩壊し、そこから逃げようとした方々は、落下した天井による圧死が多く、机の下に潜った方が生存したようです。

写真でも2階の教室の机が壊れずに残っていました。屋内にいたとき、地震時の避難は机やテーブルの下が安全なことの証明を見ました。
 日本の救助隊派遣は、第1陣と交替に第2陣32名および医療隊が活動され、その献身的な行動に沢山の中国の方々から感謝をいただいたそうです。日本でニュースを見ていた私たちも「本当にご苦労さま」と同じ思いがありした。
 なお、地震のときの負傷の4割は、家具の転倒だそうです。市では来年度から家具転倒防止の補助金制度を計画中との紹介がありました。
 (広報部大島記)

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