正月の恒例行事である『馬場(ばんば)のどんど焼き』が、晴天に恵まれた1月14日(水)に行われました。
馬場講中長・飯島武夫さんを始め、副の峯岸文男さん、3班々長の大導寺敏雄さんや関係者の方々が、前日に直径3m深さ1mの穴掘りを頑張ったおかげでどんど焼きを迎えることができました。どんど焼きで燃やす丸太やマキは講中での道普請のときに伐採した木材をこの日のために保存して置いたものです。
午後1時には、正月飾りや松飾り、だるま等に火が付き、それから火種になる丸太やマキをどんどん燃やします。午後3時頃には火種ができ、団子焼きに丁度良い状態となりました。
この大きな火種が寒さ凌ぎの暖炉の役割をしてくれる頃、三々五々と木の枝に刺したまゆ団子をかついだ近所の方々みんなが輪になって、まゆ団子を焼く人、談笑する人と楽しいどんど焼きが盛り上がって来ます。
団子を刺す棒は、ケヤキやカシ・ウメなどの小枝を切ったもので、この枝先へ3〜5個の団子を刺しますが、枝が短いと火種の火力が強いため2m位の長さがないと熱くて大変です。それではと手に持って焼くのは面倒とばかり、火種回りの小さな土手へ刺したりしますが、油断すると大切な団子が火種へポトリ。大人も子どももうまく焼こうと頑張りますが、「こうやると団子が落ちなくていいよ」と近所のおじさんと子どもたちの間にコミュニケーションの輪が生まれます。また、火種を囲みながら親子でまゆ団子を焼く家族の姿もいいものです。
まゆ団子を食べると風邪を引かずに寒さが乗り切れるという言い伝えがあります。家へ持ち帰り、固くなったら味噌汁に入れ食べても美味しいものです。
昔から火を燃やすと必ず風が出て来ます。じっとしていると1月ですから寒いです。そこで丸太に腰をかけ1升ビンから注いでもらうコップ酒を飲みながら、世間話に花を咲かせる、しばしの団らんコーナーが2・3箇所できます。
『まあ、まあ』と火種のほてりとお酒で夕やけ顔になった親父さんが1升ビンから注ぎ歩く、持ち寄った田舎のおさしみという沢庵や白菜の漬物が不思議とこのコップ酒によく合います。
団子焼きを終えた奥さんたちは、特製の甘酒にほんのりほてり顔でご近所さんとの立ち話を楽しんでいる様子やミカンやお菓子を貰って食べる子など、このなごやかな光景は昔から変わりません。
日が暮れる頃、来年も楽しいどんど焼きをやろうねとお別れをしました。本日の参加者は総勢30余名でした。
さて、ここで昔のどんど焼きを想い出して見ましょう。近所に住まう長老のお話によると、どんど焼きの場所は馬場だけでなく南ケ谷戸(小島はり療院から消防分署あたりの地域)の土手や大町公園回りのたんぼでも行ったことがあるそうです。現在の場所で行うようになったのは、南ケ谷戸から馬場の坂を抜け殿ヶ谷戸に至る新道改修工事が完成した昭和30〜32年頃に移動したようです。あの頃はテレビのような娯楽もなく、どんど焼きは大事な楽しみのひとつで、もっと沢山の人々が参加していました。
終りに、当日に写真を撮ったり個々に配られた方々へこの場を借りて御礼を申し上げます。
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