web版 第21-03号(No68)

  御嶽神社の祠について

 神社の階段を登った東側に二つ、西側に一つの小さな祠(ほこら)があります。
 以前からこの祠の由来が気になっていたので、まつわる話を筆頭総代の飯島清さんにお聞きしてみました。
 一番東側にあるお稲荷様は、参道の急坂を登りきった東側(現在は鉄板が敷かれている辺り)の小さな山の上に祭られてあったものを、昭和46・7年頃、南陽台の宅地開発を期に移設したものだそうです。
         

お稲荷様の古い故事来歴は分らないそうですが、当時は殿ヶ谷戸下講中(参道より東側が下講中/現1班で、西側が上講中/現2班)の管理だったそうで、お堂の中に古いお雛様が飾ってあって、初午(注1)の日にはお赤飯と油揚げのお供えが必ずあったそうです。

 (注1):はつうまと読みますが、この行事は立春のあとの最初の午(うま)の日が初午です。稲荷という言葉は「稲生り」「稲成り」に由来するという説があり、稲荷神社は稲作や穀物に深くかかわるとされています。初午は、一年の農事を始めるにあたって豊作をお祈りするお祭りです。昭和40年頃の現1・2班一帯には、沢山の田畑がありました。

 お稲荷様と神社本殿の間にあります金比羅様は、明治・大正の頃に下柚木村のどこかから移設されたそうです。
         

定かではありませんが、下柚木会館の向いの山を金比羅山(やま)と呼んでいるので、ここに祭られていたのかも知れません。

 神社本殿の西側にある猿丸さんは、はんそう山(2班・青木工業所の裏手にあった)を畑に整地したため、昭和初期頃に移設したそうです。
         

猿丸さんには、今でもお酒などの供物をお供え大切にされています。
 かなり古い昔は、野猿峠を猿丸山と呼んでいました。お年寄りは、はんそう山から信号・南陽台入口辺りから東側を猿丸といいます。
 この野猿峠(猿丸山)と猿丸さんはどういう関係なのでしょうか?
 また、信号・南陽台入口辺りから野猿峠へかけた辺り一帯を五輪谷戸ともいうそうです。
 以上のお話しについて、皆さんが追加の情報をお持ちでしたら、広報部・大島までお知らせ願います。
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