web版 第21-06号(No71)

  古い由木への散歩道

                「盗まれた観音さま」

 大塚の清鏡寺(注1.旧野猿街道信号・帝京大入口のT字路を北側へ100m、帝京大の前あたり)に観音さまを祀った観音堂があります。
 ある晩、この寺の坊さんが夢を見ました。淋しそうな顔をした観音さまが夢枕にお立ちになって言いました。「私は今泥棒にさらわれて、この堂より連れて行かれるが、私の片手をこの寺に残して行く。この一本の手をもとにして、私の代わりに観音さまをつくりなさい。そうすればご利やくは前にも増して、この寺は栄えるであろう」と言い終わってから観音さまはふっと姿を消してしまいました。
 それと同時に目をさました和尚さんは気が付いて驚き、急いで外に出て山の上にある観音堂にかけ登って行きました。
 庭に来てみると、真っ暗な庭の真ん中に光り輝やくものがあります。近寄るにつれ、光は段々小さくなり、それは今までお堂に祀ってあった観音さまの手ではありませんか。和尚さんは驚いてその手を拾い上げ、急いで観音堂へ入って行きました。しゅみ壇の上にあった観音像は夢のとおりなくなっていました。「まさしくこれは夢のとおりだ」和尚さんはすぐ観音さまのお告げのとおりにしようと考えました。
 そして、良い仏師(仏像を造る職人たちの長)は居ないものかと考えたあげく、当時もっとも有名な仏師であった「鎌倉の湛慶」(注2.たんけい:京都・三十三間堂・本尊の千手観音の巨像などを彫った約800年前の名工)につくってもらうことにした。
 そこで、和尚は鎌倉へ行き、夢物語を話して、ぜひ観音像を作ってくれるよう湛慶に頼みました。湛慶は快く承知してくれました。「よろしゅうございまいす。一生懸命努力して、きっと立派な観音像を作って差し上げます」。それからというもの、湛慶は自分の作業場にこもり切りで、333日間精進して残された一本の手をもとに、沢山の手のある立派な観音像をつくり上げ和尚さんに届けました。
 和尚さんは大変喜んで、盛大な入仏供養を営なみました。今ある観音像はこのときつくられたものだということです。

         

@本文中の注記1、2は広報部が記載
A大塚の清鏡寺は「てらたび」へ次のように紹介しています。
 ◆塩釜山 清鏡寺 曹洞宗
 清鏡寺(せいきょうじ)は、東京都八王子市大塚にある曹洞宗の寺院である。山号は塩釜山と称し、本尊は釈迦牟尼仏である。もとは天台宗の寺院であったが、文禄元年(1592年)下柚木の永林寺第四世妙庵長銀大和尚により曹洞宗に転宗した。
 開基は小田肥後守源太左衛門である。江戸期には「御手の観音」として知られる観音堂の別当であった。観音堂は元亀年間(1570〜73年)に再建、その後火災に遭い、現在の建物は明治14年に再建されたものである。観音堂本尊は千手観世音菩薩で、他に東京都指定文化財の十一面観世音菩薩が安置されている。
◇武相卯年観音霊場四十八ヶ所 
 第10番札所

◆清鏡寺へ行ってみましたら、御手観音として有名な十一面観世音菩薩像は予約にて拝観可能とあり、参道には新選組隊士斉藤一諾斎の顕彰碑(当寺で生蘭学校を開校)が建てられていました。一諾斎のお墓は堀之内の保井寺にあります。

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