web版 第21-08号(No73)

  由木村にも空襲被害があった!

 今年6月、里山公園を建設中の堀之内・沖谷戸(野猿街道信号・堀之内東の北側400m付近)へ由木東小学校4年生と環境学習で同行しました。
 この谷戸の奥には、今では珍しくなった65年前の防空壕が大切に保存されていて、これも体験学習のひとつに組み込みました。急斜面を横穴に掘った防空壕は、近所の人々の安全を守るために作られたものです。普段は防空壕の入り口を施錠し管理されていますが、今回は特別に子ども達と一緒に暗く土臭い壕へ入って当時の大変さを偲んでみました。
 これがきっかけで、戦争末期の由木はどうなっていたかを知りたくなりました。 
 当時の南多摩郡由木村は人口6千8百人程度の農村地区で、八王子市内からの疎開先でもありました。資料によると国民学校やお寺には、都会から来た沢山の子ども達が寝泊りし、迎え受けた地元(現在の由木中央小学校や永林寺など)は、食事から勉学までの世話が、さぞ大変だったと思います。
 いろいろな八王子戦後資料を図書館で調べますと、殆んどは旧市内の戦災記録ですが、次の本に由木村へ関する記事が記載されていました。「八王子の空襲と戦災の記録・総説編/八王子市郷土資料館編1985年」。 ここから幾つかを抜粋し紹介いたします。

◆上柚木の畑に飛行機が墜落炎上 !
 昭和20年2月17日、近衛第3師団の兵士達が野猿峠から長沼に通ずる洞窟(砂山といわれた)を整備改造していたとき、一兵士がつぶさに観察していた。
 敵機・グラマン3機が立川の軍飛行場を攻撃し一方的に蹂躙し炎上していた。
 同時刻、野猿峠の上空500mにもグラマン9機が旋回していたが、町田方面から低空で友軍1機が飛来し、少年らしい飛行兵の顔が見えた。日の丸の色あざやかな機はたちまち上昇して、9機の中に突っ込んだ。「ハッ」と固唾を呑んで見守ると、一瞬銃火が散った。友軍機は敵の1機に体当たりを喰わせると、互いに火を噴きつつ前後して墜ちて行った。
 この様子を見ていた中山の方々によると、墜落した敵1機は鑓水方面に墜ちたものの搭乗員は落下傘で脱出し捕虜となったそうです。この交戦中に中山の畑に爆弾数発が落ちたそうです。
 一方、墜落したゼロ戦も上柚木丘陵の畑へ真っ逆さまに突っ込み、戦死されたそうです。この戦士を悼んで「阪一等空曹戦死の地」と書かれた木製の墓標が落下地点に建てられています。

◆越野にも爆弾が落下!
 当時松木に住んでいた佐藤クマさん(旧姓熊沢・10才)は、この怖かった空襲(昭和20年2月17日)のことを次のように話しています。
 ある日のこと、自宅にいたときですが、空襲になりました。「お前は先に防空壕へ入っていなさい」と言われました。心細い思いで縮こまっていますと、外では機銃掃射の音がしていました。そのうち、ドカーンと大きな音がしました。あたりが静かになってから、皆が「爆弾が落ちた!」と口々に言っています。ゾロゾロと少し離れた越野のあたりまで見に行きました。すると、細野島一(野猿街道信号・大竹橋北のすきや裏手あたり)さん宅の前のたんぼに、直径5m位の大きな穴があき、細野さん宅の牛小屋が爆風でつぶれていました。このときの空襲はB29によるものではなく、艦載機か何か、小型機によるものと記憶しています。米軍は学校や役場(下柚木)の建物を狙ったが、外れたらしいということです。でも子ども心にとても恐ろしく忘れられません。

◆下柚木に焼夷弾が落とされた!
 下柚木は由木村の中心部にあたり、村役場をはじめ国民学校・青年学校・古刹、永林寺があり、まさに村の中枢地区であった。戦時中には、役場のそばに松根油の乾留装置も作られ、村民の勤労奉仕によって掘り起こされた松の根はここに集められた。
 下柚木の飯田タミ子さん(当時26才・主婦)の家には、市内からの縁故疎開者3世帯がおり、荷物も7・8軒から預かっていた。そのため防空壕も屋敷の裏に作り、皆を収容できるような態勢になっていたという。
 タミ子さんは、八王子が空襲を受けることは知っていました。確か、中町の小松歯科医で聞いたような記憶がありました(米軍が予告ビラを撒いていた)。7月7日私は灯火管制の下で長女を出産したのですが、外に光が漏れるので、こうもり傘をさしてのお産でした。そんなわけ1ケ月に満たない乳児を抱えておりましたので、私は空襲が始まるとすぐ防空壕に入ってしまいました。外からはB29の爆音がひっきりなしに聞こえ、同時にビーン・ビーンという弾の音も聞こえ不気味な感じがしました。
 主人(達一さん・南多摩地方事務所勤務)は、そのとき疎開関係の仕事を担当していました。その夜、空襲の様子をつぶさに見るため野猿峠の一本松まで行って、燃える八王子をずっと見ていたそうです。この空襲の後、しばらくして屋敷裏の畑から不発の焼夷弾が2本出てきました。こんな所にまで焼夷弾が落とされたのでしょうね。(タミ子さん談)
 飯田さんの裏山の丘陵は、西長沼・殿ケ谷に続いており、この地区に数多くの焼夷弾が落とされ2戸が焼失しました。そのときの標的外れ弾?だったのかも知れません。
(広報部記) 

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発行 下柚木町会  編集 下柚木町会広報部

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