web版 第22-9号(No86)

  古き時代の野猿街道(その2)   郷土史研究家 下島 彬

 室町時代に入ると大石氏の時代となる。大石定久入道して道俊心月斉と称し、養子氏照に譲ってからは、永林寺を居館とした。養子氏照は権力を示すべく巨費を投じて再営した。永林寺境域は完全に城郭の構え(由木城)を残している。
 大石定久の墓は野猿峠上の、現在の朝信学院にあったが現在永林寺内にある。「山上の最も高きところに、) 源左衛門が五輪の碑石ありしに 破壊して谷に陥れたり いまは下由木観音寺境内に造立せり ここの旧地に小石の碑を封じて 古えの標とせり 正面に『大石公故墳』と銘し 右の脇に『往古永林寺境内』と刻し 左に『紀州片野家再建』と記したり」(武蔵名勝図絵)
 下柚木の項の説明には「猿山 ここより 下柚木村なり この山を由木領打越村の界とす 猿丸嶺或は中(申の誤りかー筆者)丸嶺、猿山嶺と土人呼び来たれり 事実不知といえども里老はいう この嶺へ往昔大石源左衛門の鎧を埋め給ひて 石碑を建て置かれしより秩父の武甲にならひて甲山嶺と号しける「甲」を「申」に誤って書きしゆえー十二支の甲に読みて 土俗さる山と唱ふ これもまた迂遠になりとて 終に猿の字を書き来たれりと云 神奈川筋への往還なり大石氏の碑石いまも山上にあり」(武蔵名勝図絵)
 打越村の方に記してあるのは説明が若干異なる。「猿山嶺 猿丸峠とも号す 北野村の南続き打越村の地にして この嶺上の堺あり由井領と限りなり嶺上のまた高き丘に大石道俊の碑石を建てるゆえ往古は甲山峠と唱えけるが その後文字を誤りて甲を申と書き来たればサルと読み来たれるより転じて読みやすき猿という文字になりけると云この道筋は八王子辺より子安、北野、打越と出て この嶺を越えて由木領を通り小野路、大蔵を経て都筑郡に入りて神奈川筋への往還なり 大石氏の碑石いまも山上にあり」と。(武蔵名勝図絵)
 「村(打越村のことー筆者)ノ南ノ方ニアリ登り七八丁コノ嶺ニ稲毛領へ通スル一条ノ往還アリ猿山通リト云ヘリ」(新編武蔵風土記稿)
 野猿峠には手の平松という松があった。
「打越の手の平松は柚木に至る往還の最高地点にある。此処に登れば淺川の渓谷はいふに及ばず武蔵野・相模野等の景勝が雙眸に集まって来る。此辺にまとなき眺望の勝地である」(武蔵野歴史地理)。手の平松は今はない。昔多摩丘陵は松が多かったが太平洋戦争の時大分伐られてしまった。松は保水、浄水の役目を果たすという。
 江戸時代の小野路道沿道は、徳川幕府直轄地の天領と旗本の知行地に細分化され、入り組んでいた。「寛政八(一七九六)年十二月二十三日下柚木の地頭太田志摩守資同と中山の地頭田安芸守元忠とは幕命を受け、中山の林中にて猪鹿の狩猟をした。元忠等は終日狩りくらし獲物頗る多かったという」(武蔵野歴史地理)。
 明治に入って、明治天皇は侍従山岡鉄舟らを従え、明治十四(一八八一)年二月、多摩村と御殿峠で兎狩りをした。周辺の住民は勢子に駆り出された。多摩丘陵にはまだまだ鳥獣が多かったようである。
 由木村は気候温暖にして肥沃な盆地で、相模的風土に近い。養蚕、牧畜、養鶏、養魚、薪炭や目かい笊が盛んであったが、禅寺丸の柿が名物でもあった。農民も中農が多く、経済的ゆとりがあった。明治に開設して知事の表彰を受け、わざわざ見学に来たという鑓水学校、生蘭学校が有名である。古来教育程度も高く幾多の英才を輩出している。その故か由木村は自由民権運動も盛んで、東京府議会員林副重らを生んだ。
 生糸の暴落で発生した困民党事件では、明治十七年八月御殿峠に集結した武相の農民数千人のうちで最も人数の多かったのは由木村の農民である。困民党に中農以上がが多かったのは養蚕が可能な農民ということであろうか。
 大正の末期、幻の鉄道となってしまった南津鉄道(南多摩・津久井間)にしても由木村の余裕が企てさしたることではないだろうか。
        

 しかし現在京王電鉄が橋本まで開通し、小田急電鉄が唐木田から相模原まで着工の予定となり、東村山より多摩センターまでのモノレールは既に着工した。由木の人たちにとっては念願の鉄道であるが、何故か由木東部に偏ってしまった。
 古く中世までは南北のルートの道が繁栄した。東西の道は江戸に権力が集まったからである。大久保長安、長田作左ヱ門らの町づくりによって、現在の八王子の町が出来上がった。今北野駅周辺、多摩センター周辺が大きく変わりつつある。都市は南へ南へと延びるのが世界的傾向であるという。また分散から集中へと歴史は繰り返すという。歴史をひもどく時、将来も見えて来るような気がする。 
(この稿完)

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