web版 第22-11号(No88)

  野猿街道の今昔を描く

            「由木農協」 著者 橋本豊治
  
 大正十三年、由木村信用購買販売利用組合として創立された。村役場の中に組合の事務所を持っていたが、昭和十一年に現在の所に開設された。村の主生産物であった縄、莚、野菜の集荷・販売や、肥料や農機具の販売、精米精麦等が主な役割であった。

  


 絵の建物は昭和十六年に建てられたもので、当時としては目立つ建物であった。
右側の黒い屋根の建物は鑓水の製糸場を解体移転してきて、繭の集荷場して利用されたものである。私の家も養蚕農家であったので季節には繭の出荷を私も手伝った。
新しい鉄筋コンクリートの建物は、昭和四十四年、親戚の加藤工務店によって建てられたものである。
 戦時中は由木村農業会、戦後二十三年に由木村農業協同組合、六十一年には八王子市農業協同組合由木支店と名を改め、現在に至っている。
 私にとっては、上野の都美術館まで絵の搬入、搬出に数回御世話になった思い出がある。三十年代は現在のように輸送手段がなく、農協の都心への品物の運送、品川からの肥料の運搬とかに日時を調整して頂き、荷物の上に私の絵を乗せて貰い、道路状況の悪いガタガタの旧甲州街道を絵が破れはしないか、と心配しながら助手席に座り、上野まで往復していただいたのだった。運転手として萩生田吉之助さんと細野宇三郎さんの名前が思い出される。
 その後、五、六年は、吉田観賞魚販売の吉田広さんのトラックで、特別に、同様の絵を運んでもらったりした。


     

戻る

  禅寺丸っていう柿を知ってますか?

 禅寺丸柿(ぜんじまるがき)は、川崎市・柿生辺りの名物柿とは聞いておりました。先日、堀之内の友人から6個いただき初めて食べました。小粒で丸く淡い甘さでしたが、中には渋い粒も混じっていてびっくり。
 町内の物知りに聞きましたら、家の庭にもあるよ。渋さを見分けるにはコツが有って、普通は霜が降りてから食べるとか。
 ネットで調べてみましたら、禅寺丸柿は「不完全甘柿」といって、種子の数が多いと甘く、種子の数が少ないと渋く、樹は古い方が甘くなるそうです。
 この品種は約800年前、新百合ケ丘駅に近い王禅寺の山中で発見されました。この柿には保存会があって、王禅寺境内に樹齢450年の原木(国の登録記念物)が保存されています。苗木の市販はありますが、用途は次郎柿や富有柿の受粉用でした。

戻る



楽天トラベル株式会社

あなただけの自由でお得な旅!航空券+宿泊予約【ANA楽パック】


発行 下柚木町会  編集 下柚木町会広報部

中高年の方がパソコンを安心して利用できる場所 インターネットルーム ハタノ

inserted by FC2 system