「由木農協」 著者 橋本豊治
大正十三年、由木村信用購買販売利用組合として創立された。村役場の中に組合の事務所を持っていたが、昭和十一年に現在の所に開設された。村の主生産物であった縄、莚、野菜の集荷・販売や、肥料や農機具の販売、精米精麦等が主な役割であった。
絵の建物は昭和十六年に建てられたもので、当時としては目立つ建物であった。
右側の黒い屋根の建物は鑓水の製糸場を解体移転してきて、繭の集荷場して利用されたものである。私の家も養蚕農家であったので季節には繭の出荷を私も手伝った。
新しい鉄筋コンクリートの建物は、昭和四十四年、親戚の加藤工務店によって建てられたものである。
戦時中は由木村農業会、戦後二十三年に由木村農業協同組合、六十一年には八王子市農業協同組合由木支店と名を改め、現在に至っている。
私にとっては、上野の都美術館まで絵の搬入、搬出に数回御世話になった思い出がある。三十年代は現在のように輸送手段がなく、農協の都心への品物の運送、品川からの肥料の運搬とかに日時を調整して頂き、荷物の上に私の絵を乗せて貰い、道路状況の悪いガタガタの旧甲州街道を絵が破れはしないか、と心配しながら助手席に座り、上野まで往復していただいたのだった。運転手として萩生田吉之助さんと細野宇三郎さんの名前が思い出される。
その後、五、六年は、吉田観賞魚販売の吉田広さんのトラックで、特別に、同様の絵を運んでもらったりした。