web版 第22-12号(No89)

  野猿街道の今昔を描く

             野猿街道の今昔を描く
          「大橋屋東より」 著者 橋本豊治

 現在の大橋屋商店は場所が移り大きくなっているが、この絵の大橋屋は、今、大導寺邦夫さんの住宅になっている所にあった。
    

荒物雑貨から酒類まで、この地域の人々の日常の買い物には欠かせない店であった。かつては、旧道に面していて新道ができた関係で、道より少し低い所にあった。大導寺栄吉さん老夫婦が店を切り盛りし、子供にも優しく応対してくれた。
 私が五歳位だったと思うが、その頃は一銭銅貨一枚で飴玉が五ヶ買えた。
 私はやっと母親から貰った一銭銅貨を大事に握りしめ、道を歩けば良かったのに田圃の畔を歩き、店近くの畔から新道に飛び渡った拍子に草の中に手をつき、一銭銅貨を無くしてしまった。私は飴玉五ヶと夢中になって捜したが見つからず、しょんぼり家に帰ったことが思い出される。
 大橋屋の西隣には松本という床屋さんがあったが、私が記憶する頃には主人が亡くなり、奥さんと二人の息子さんだけの住居だった。
 大橋屋の左奥に見える大きな家は、市会議員を務めた川和惟平さんの旧宅で、立派な造りであった。先祖は川和豊後と「新編武蔵風土記稿」にも出てくる旧家である。
 右手前の家は、小学校の同級生の伊藤巳代冶君の家で、ここも旧家である。先祖は伊藤太郎左衛門と言い、本姓は大石氏なりと「新編武蔵風土記稿」に書かれている。
 右手前の白いコンクリートの所にはトタン作りのボロな車庫があった。(由木乗合自動車)。

      

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  上柚木で昔の自然?を見つけました!

 10月末、由木西小学校付近の野山の自然観察会に参加しました。そのときの山道で発見?したものを2つ紹介いたします。
 イナゴ:農薬をほとんど使っていなかった昔、田んぼに行くとイナゴが無数に飛び跳ねていました。下柚木に移り住んで40年、久しぶりにお目にかかり、懐かしかった。しかしこのイナゴは、稲を食べる種類ではなく丘陵などに生息するツチイナゴでした。
      

 キクラゲ(木耳):枯れた広葉樹に自生する食用のキノコだそうですが、初めてお目にかかりました。幼い頃は海草の一種かと思っていましたらキノコだったのです。自生していた由木産キクラゲは、水分をたっぷり含んだ薄い赤茶色の柔らかい感じの大きな株した。お店で売っている乾燥キクラゲは人工栽培されたものなので、生の天然キクラゲはもっと美味しいかも知れませんね。自然界では初夏から秋口にかけ採れるとか。

      

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