web版 第22-12号(No89)

  古い由木への散歩道 その6

           古い由木への散歩道 その6
          下柚木・御嶽神社の由緒など

 御嶽神社は八王子市内に6ケ所あることをご存知でしたか。一番古い御嶽神社は、滝山自然公園近くの滝山街道沿い(丹木町)にありますが、当初は滝山自然公園(滝山城址)の山上に蔵王権現を祀(まつ)る社として、今から668年前(1342年)に造られ、祭神には日本武尊(やまとたけるのみこと)・他が祀られていました。当時は神仏混淆(しんぶつこんこう)の時代だったので「仏教の蔵王権現」と「神道の日本武尊・他」が一緒に祀られていたのです。
 さて、大石定久(22の10号のとんとん昔・大石松で紹介した悲運の武将)が父・大石定重と共に滝山城を築城(1521年)しました。その後、定久の次弟・大石遠江守が滝山城の守護神(日本武尊・中筒男命)を勧請し、477年前(1533年)に下柚木へ社殿を造営したとの伝承があります。
 また、393年前(1617年)に別当の光明院が社殿を再建し、上柚木・下柚木の総鎮守としたそうです。その後も何度か社殿は再建されたと記録に残っています。
 相殿(あいどの:同じ社殿に2柱以上の神を合祀すること)には住吉大神を奉斎し、天王社、金毘羅社、稲荷社が本殿の東隣りに安置されています。この小ぶりな社殿にまつわるお話しは21の3号で紹介致しましたが、次にもう一度記します。
 本殿の東側にあるお稲荷様は、参道急坂を登りきる少し手前の東側(現在は鉄板が敷かれている辺り)の小さな山の上に祀られてあったものを、昭和46・7年頃、南陽台の宅地開発を期に移設したものです。
 お稲荷様の古い故事来歴は分らないそうですが、当時は殿ヶ谷戸下講中(参道より東側が下講中/現1班で、西側が上講中/現2班)の管理だったそうで、お堂の中に古いお雛様が飾ってあって、初午の日にはお赤飯と油揚げのお供えが必ずあったそうです。
 金比羅様は、昔、下柚木会館の向いの丘を金比羅山(やま)と呼んでおり、ここに祀られていたものが明治・大正の頃に移したと考えられます。約200前の記録には馬場跡(番場)に所在と記録されています。
 なお、天王社は殿ヶ谷戸に祀ってあったものを、何かの都合で移したようです。
 神社本殿の西側にある猿丸さんは、はんそう山の山林を売却(共有地→個人)した昭和初期頃に移したそうです。猿丸さんには、今でもお酒などの供物をお供えし大切にされています。
 境内の南側には、樹齢およそ400年の市天然記念物・シイの木(スダジイ)があります。この木は、根元から2幹に分れ、それぞれ目通り3m余、樹高20m余の巨樹です。この辺では、高尾山中及び宇津木町にシイを見ることができますが、他の地区では極めてまれだそうです。このシイは、滝山城の守護神を勧請した頃(477年前)に植えられたものと思われます。
 ちなみにシイはブナ科の双子葉植物暖地性で、ツブラジイとスジダイの2種類があり、関東地方にはスジダイが多く、実は食用にもなるそうです。
 境内の西側にある神楽殿や神社にまつわる昔の行事などの紹介は、機会を見て後日の掲載といたします。
 初詣のときに、このお話を思い出していただけたら幸いです。
(広報部記)

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発行 下柚木町会  編集 下柚木町会広報部

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