web版 第24-12号(No113)

  古い由木への散歩道

             古い由木への散歩道 その18             
                太古の由木について @

 これまでの古い由木への散歩道は、主に鑓水・上柚木・中山・下柚木地区でした。
  続いての散歩道は、別所・松木・堀之内周辺かなと思っておりましたところ、この地区は40年前の多摩ニュータウン開発時に竪穴住居などの遺跡が沢山発掘されていました。そこでこの遺跡の多い地区を散歩するなら、もっと古い、いえ超古い由木への散歩からはどうかなと思いたちました。
  具体的には、『野猿峠・殿ヶ谷戸および大栗川に沿う台地等の地形』が、『いつ頃、どのような過程を経て造られたか』です。続いて予定したいのは、『由木に暮す大古の人々がいつ頃どのようにして定着』したのか。更には『堀之内地区に竪穴住居が見つかっているが、その当時の下柚木地区はどうだったか』などです。この計画は、考古学や地学の初心者には無謀なチャレンジかも知れませんが頑張ってトライも試みたいです。
  調べ始めてみると多摩や多摩川の研究・調査文献はありますが、ローカルな由木や大栗川の部分はほとんど記載されて居りません。従って類推もたまにありそうです。 
  歴史散歩をするにあたって、要約的で簡易な紹介を心掛けながら『超古い由木の歴史発掘』へチャレンジします。お付き合いの程を宜しくお願い申し上げます。
  なお、お気付きの箇所等がございましたら広報部へご一報を願います。

●多摩の3億年と地殻変動
地球が誕生して46億年。地球上に生物が誕生したのは38億年前、シーラカンスや肺魚の誕生が約5億年前、巨大トンボやゴキブリが誕生しシダ類の巨木が繁茂したのが約3億年前、鳥類の祖先が誕生し恐竜が全盛期だったのは2・5〜2・1億年前(ジュラ紀)、人類誕生は500万年前です。
  調べ始めてみると、格好の資料が市内の図書館にありました。『多摩のあゆみ』という多摩地方の歴史・民俗・地理・自然をテーマにした季刊誌が年4回、多摩信用金庫から発刊されていました。この第27号(1982.5)が『特集・多摩の3億年』、さらに第96号(1999.11)へ『特集・200万年の環境ー気候・地形・動植物ー』があり、これをベースに他の資料も加え調査を開始しました。
  超古い多摩を知るには、日本列島誕生の歴史もザーと勉強する必要があります。

●日本列島の誕生
日本列島はおよそ18億年前、アジア大陸の一部で中国や朝鮮とは陸続きでした。4億年前頃に大陸から断裂し始めました。それから地殻変動で浅い海から陸地が徐々に多くなり、日本列島の骨格がほぼでき上がったのは2千百万年〜千百万年前、現在の日本列島の形になったのは5百万年前でした。
3千b級の日本アルプスも奥多摩の三頭山なども、山をつくっている地層から海の生物の化石が見つかるため、これらの山は海からつくられたことがわかります。

●奥多摩の山々の誕生
奥多摩の山から石灰岩が採れ、この白い岩石からセメントをつくることは知っていますよね。石灰岩は超古い時代のサンゴの化石が沢山積み重なってできました。奥多摩の日原鍾乳洞へ行くと、地中の石灰岩が長い年月をかけ、地下水に溶けて洞窟になったと説明を受けます。
都民の水源地である雲取山から日原にかけて存在する地層のなかに、およそ3億年〜2億3千万年前の海に生きていたウニやヒトデの仲間である「ウミウリ」や殻を持ったアメーバに例えられる「フズリナ」と呼ばれる化石を含むものがあります。 
この化石を含む地層が、多摩では最も古い時代の地層(秩父古生層)です。日原周辺が海だった頃、サンゴ礁があったのは、およそ1億5千年前で恐竜の全盛時代(ジュラ期)と同じ頃でした。

●海から山脈ができたメカニズム
  次に、「沈む海と地向斜」および「本州造山運動」をごく簡単に説明します。
  超古い時代の地層のことをお話しましたが、地層はどこにでもたまるものではなく、海が沈むような場所でないと地層はたまらないのです。折角たまった地層も流れたりしてはたまりません。海が沈み、地層が厚くたまる海を「地向斜」といいます。日本列島の背骨となる大きな山脈のほとんどが「地向斜」からできています。
「本州地向斜にたまった地層」は、超長い年月を経て2億5千年前頃(古生代)に、その厚さが1万〜2万bに達し、海の底へ深く押し込められていきました。
  地層の深い部分が地熱や地圧をうけ変成岩に変えられることがあります。同時に地下深くで花崗岩質のマグマもつくられ地層の中へ入り込んでもいきます。地下で花崗岩がつくられるようになると、それまで沈んでいた海底は逆に上昇をはじめるようになり、やがて山脈に変わっていくのです。
  このように海が山になる地殻の変動は、「造山運動」と呼ばれ、古生代(5億6千万年〜2億5千万年前)におこった造山運動は、「本州造山運動」と名付けられています。日本アルプス(北・中央・南アルプスの総称)など各地の主な山脈はこのメカニズムによって造られました。したがってこれらの大きな山脈は、数億年前は低い山々でしたが、ゆっくりと長い時間を経て隆起しました。
  今、3千bを越す日本アルプスも、その高さの三分の二は、170万年前頃(第4紀)になってからスピード隆起したもので、隆起はまだ続いているとの報告があります。 
  最も隆起した頃は、170万年間で1500b以上にもなりますが、それでも一年間に1ミリb弱の隆起量にしかなりません。「ちりも積もれば山となる」の例えに似ています。

●八王子近郊の山々の誕生
  奥多摩や五日市(あきる野)の山々は2千4百万年〜170万年前(中新世)の本州造山運動で海上へ頭を出し成長をはじめました。
  丹沢山地は、1700万年前〜1200万年前頃、海底火山が活発となったときの噴火した岩石でつくられ、その後、伊豆半島の岩体に押され隆起しました。このような造山運動に似たこの地殻変動は「グリーンタフ変動」と呼ばれています。また、五日市盆地で発見された二枚貝やカニ・魚のウロコなどの化石が発見された地層は、丹沢山地の地層と同じ年代と確認されていますが、丹沢西側の海成岩(マグマがゆっくりと固まった石英閃緑岩)や丹沢東の火山岩は、五日市盆地に見当たりません。従って双方の地層の生い立ちは異なることが判ります。
  奥多摩の大岳山・月夜見山は2億8千万年前〜1億4千万年前(ジュラ紀)の地層で、ハイキングでおなじみの陣馬山・景信山・高尾山は1億4千万年〜6千4百万年前(白亜紀)の地層でつくられています。
  多摩の山々が隆起した後、2千数百万年前の武蔵野一面は浅い海で、八王子・青梅・秩父・寄居辺りに海岸線があり、クジラが泳いぐこの海を古東京湾といいます。
  昭和38年8月、子どもを連れて川遊びしていた親子が、多摩川にかかる八高線の鉄橋下でクジラの化石を発見しました。
  場所は拝島橋(国道16号線の)の1・5キロb下流です。発掘は昭島市の小中学校の先生・生徒達が人海戦術で作業したとか、クジラはコクジラ(体長;約15b)に近いものでアキシマクジラと命名されました。
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  また、発掘中にサメの歯がクジラの頭部に近いアゴ付近から30本も見つかり、多分サメに食われて死亡と推測されました。鑑定の結果では、約2百万年〜5百万年前の時代にいたクジラと確定されました。当時「由木はまだ浅い海の底」でした。
  由木が海の底だったという証拠は、鎌田鳥山(野猿峠前)のすぐの裏にある都立長沼公園にあり、どなたでも見学ができます。
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  公園は北野街道から入るか、野猿街道からも入れます。公園の広さは東京ドームの約8倍、高さが約90b、頂上からの眺めは奥多摩の山並みが望め、沢伝いの景観は変化に富み、野生の動植物の宝庫でもあり、草地では家族連れのお弁当も楽しめます。公園のメインルート・霧降の道の中間辺りに、古代は海だったことを示す地層の解説板と露出した砂利層や印象化石などを確認(案内者が必要)できます。地層には古代の頃、相模川が流れていた跡もありました。
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                長沼公園の地層と分布
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                 表層地質分布平面図
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                    地層の断面
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                   化石の事例
  次回は、多摩丘陵の誕生を紹介します。

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