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古い由木への散歩道 その23


今昔の大栗川とさかな獲り ①

 ふるさとの川「大栗川」は、流域の小中学校の校歌に歌い継がれてきました。例えば由木西小学校は142年の歴史があり、次のように大栗川が校歌へ含まれています。

 あたたかく 校舎つつむ 多摩丘陵
  由木の田畑を うねうねと
  大栗川は走ります
  愛をたたえて いざともに
  手に手をとって進みます
  ああ由木西小 わが母校

 また、由木中学校の会報は、「おおくりがわ」といいます。
昔の大栗川は川魚の宝庫と言われる位、沢山の種類と数が棲んでいたそうです。

 昭和の20年代位までは、川で獲ったさかながちゃぶ台を賑わし、ささやかなタンパク源の一部を補っていたとの話を聞いたことがあります。大栗川沿いの日当りの良い土地、例えば堀之内の野猿街道の信号・大栗橋北のオートバイ屋レッドバロンの裏手付近には縄文時代の遺跡(集落)が発掘されています。当時の食べ物はイノシシなどの動物と木の実などが主食だったようですが大栗川や寺沢川に棲むさかなも大切な食糧の一部だったことが容易に想像できます。現在の大栗川最下流(鎌倉街道の新大栗橋より下流)には、多摩川の大きな鯉などが数十匹も遊泳し素人目にも魚群が濃いのが判ります。カワセミが岸辺のヨシから小ザカナを狙っていることも観察できます。

 しかし大栗川の上流に来ると、野猿街道の多摩第二小学校近くにある殿田橋の少し先から川へ高さ1m位の段差を設け、さらに大部分をコンクリート三面張りに施工したため、魚類の棲息は極端に少なくなっています。 これは大きな段差によって魚類が川をさかのぼれないことと植物が育たないコンクリート三面張りだからです。

  例え魚類が棲んでいても川底が見える浅い深さでは、隠れ場所がなく野鳥のエサになってしまいます。ごく僅かですが由木東小学校に近い番場橋のやや上流および大栗川と太田川の合流点には魚類の生息が見られます。その付近約50m位を川底へ自然石を敷き、川の両端に石を詰めた金網製の蛇かごを置き植物を繁茂させ水棲生物の隠れ場所を作っています。支流である各谷戸の川に長池や柳沢の池のような池があれば、大雨のときに魚が逃げて大栗川へ棲み付きます。また寺沢川の上流にはハヤやドジョウも棲んでいます。しかし豪雨のときは大栗川の水位が増すと共に、激流によって魚類は下流の多摩川へ流されることでしょう。

  10年前頃から由木東小・4年生の環境学習支援で番場橋付近の蛇かごへ「どう/さかな取り器」を仕掛けてさかなを捕獲し児童たちの観察・教材としています。毎回、体長10㎝前後のドジョウ3~5匹とアブラハヤ・ザリガニ数匹、一度だけギバチが捕獲されました。120人の児童たち全員にタモ網を持たせ、水棲生物の採取を試みますがザリガニやヤゴ(サナエトンボ?)に加えカゲロウの仲間とヒルが採れる程度です。 

  昨年(平成25年9月)は、例年と違った金網製の捕獲器(縦・横・高さ各40㎝位)を仕掛け大物狙いを試みました。その結果、甲羅の径が約7㎝位のモズクガニ(鋏脚に濃い毛があるのが特徴)3匹と甲羅の径が約12㎝位のカメ(日本に昔から棲んでいるクサガメらしい)2匹が採れました。モズクガニは多摩川河口に沢山棲んでいて、これが上流へ移動し、大栗川の段差も脇の堤防から這い歩きのぼって来たようです。在来種のカメは昔から池に棲んでいました。

  別の日に4年生と一緒にモノレール線・高幡不動駅から徒歩15分の浅川・ふれあい橋付近(左岸)へ出かけ、岸辺の水棲生物を採取するとハヤの子らしい小魚やギバチ、シマドジョウ、ヨシノボリに加え沢山の小エビやヤゴが採れ観察ができました。捕獲した魚類は観察後に必ずその場で児童たちが川へ放し資源保護へ協力しています。
次回は、古き良き時代の大栗川のさかな獲りについて報告いたします。

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