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古い由木への散歩道 その23


今昔の大栗川とさかな獲り ②

 由木地区では、大栗川やその支流の谷戸川などで川魚漁が行われ、獲った川魚はおかずに調理されて食卓にのった。現在のように新鮮な魚介類の購入が叶わぬ時代には、たんぱく質やカルシュームを補う食材として川魚が大いに重宝された。男性は子どもから大人に至るまでたいていの者が川魚漁の経験を持ち、実践を通して川魚の種類やその習性、場所による生息状況、漁の技術などを習得していった。
  大栗川の本流と支流および本流の堰から田んぼへと引き込まれる堀では、生息する魚種に違いがみられる。越野を例にとると、大栗川の本流にはコイ・フナ・ウナギ・ギバチ・コトブキがおり、数こそ少ないがハヤも生息していた。ハヤには、ホンバヤ・バカッパヤ・マグソッパヤの三種がある。このうちウグイに当たるのがホンバヤで、これは越野の下根より下流にみられた。バカッパヤはオイカワのことで、これは産卵期に腹が赤くなり、ハヤの中では最も生息数が多かった。マグソッパヤは越野の上堰より上流に位置する下柚木殿ヶ谷戸辺りに多くみられ、これは姿形こそホンバヤに似ているが色はドジョウに近い。ギバチはナマズに似た淡水系の軟骨魚で、背びれと胸びれに棘を持ち、刺されると非常に痛い。
 コトブキは体長が10㎝くらいで、姿形はギバチに似るがヒゲはない。こうした本流を生息地とする魚は、ときに谷戸川にも遡上する。 
  本流にはナガレコミ(流れ込み)と称して谷筋を下る谷戸川の合流地点があり、増水時にはここから多くの魚が谷戸川へと上がってきたのである。したがって、主として本流に生息する魚でも、その行動範囲は谷戸川まで及ぶこととなった。ナガレコミは水深が深く、増水時にはハヤなどの魚が多く集まることから恰好の漁場ともなった。
  大栗川にはカジッカ(カジカ)も生息していた。ただし、カジッカが捕れるのは大雨が降って川の水が濁ったときに限られる。通常は水中の洞穴に潜んでおり、大水で洞穴が流されるとその姿を現すのである。それ以外は洞穴から出てもあまり動くことはなく、川底にじっとしている。また、魚体の色が川底の砂利に似ているので、川面からの判別は難しい。そのほか、大栗川上流に位置する鑓水にはサンショウウオが生息していたとも伝えられている。
  谷戸川の中流から上流に多く生息していたのはフナとドジョウである。また、イタブナと呼ばれるタナゴの類の小魚もいた。谷戸川のテッペン(最上流)に生息するドジョウは体長がずんぐりむくっりとしており、運動能力に劣る。これは捕ってもアシガハヤイ(足が速い=腐敗が速い)ので、漁労の対象とはされなかった。呼称は不明であるがホトケドジョウではないかと察せられる(昭和50年頃のことであるが由木保育園向かいの植木屋・富澤さん裏手の小川にホトケドジョウらしい小さな魚影が多くみられたが、最近は全く見当たりません)。
  大栗川の堰から田んぼへ引き込まれる堀にはシマドジョウがいた。シマドジョウは体長が12、3㎝くらいで、頭部から尾にかけて流れの縞模様がある。また、堀底の砂利にはシジミも生息しており、水質がいかにきれいであったかがうかがえる。
  タニシは田んぼやその周辺の堀、あるいは谷筋の小川に多数生息していた。また、終戦後には外来種のザリガニ(アメリカザリガニ)が繁殖し、昭和30年代には田んぼの畦にザリガニが穴を開け、水漏れを引き起こす被害が各所で頻発した。
  なお、川魚漁が行われたのは主として昭和20年代までである。衰退の背景には、物流改革によって鮮魚の入手が容易になっ
たことや冷蔵庫の普及で鮮魚の保存が可能になったことであるが、併せて農薬使用が及ぼす影響も大きかったといえる。昭和20年代後期から末期ごろには稲作に農薬が普及し、田んぼとつながる川の水も次第に農薬汚染が進んでいったのである。  (次号に続く)

引用文献;新八王子市史民俗調査報告書第2集   
八王子市東部地域 由木の民俗 発行H25年3月 

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